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最高裁判所第二小法廷 平成7年(オ)2178号 判決 1998年8月31日

上告人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

池上徹

石井宏治

被上告人

乙山太郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人池上徹、同石井宏治の上告理由について

一  本件は、上告人の戸籍上の父とされているA男が死亡した後、その遺産相続をめぐって紛争が生じ、A男の養子である被上告人が上告人に対し、亡A男と上告人との間の親子関係不存在確認を求める訴えを提起した事案である。記録によって認められる事実関係の概要は、次のとおりである。

1  A男とB女は、昭和一八年一〇月一日に結婚式を挙げ、同居生活を開始した。なお、婚姻の届出は同月二二日にされた。

2  A男は、昭和一八年一〇月一三日に応召し、同月一九日に下関港から出征して、南方各地の戦場を転々とした後、昭和二一年五月二八日に名古屋港に帰還し、翌二九日に復員の手続がとられた。

3  この間、B女は、C男と性的関係を持った。

4  B女は、昭和二一年一一月一七日に上告人を分娩した。

5  上告人は、A男により、A男・B女夫婦の嫡出子として届け出られたが、昭和二二年八月四日にC男の養子とされた。以来、上告人は、C男の下で暮らし、C男・D女夫婦(昭和二七年一一月二四日婚姻)の子として育てられ、A男・B女夫婦とは没交渉の状態にあった。

6  一方、A男・B女夫婦は、昭和二六年三月一六日に被上告人(昭和二四年一月二二日生まれ)を養子とし、同居生活を送ってきた。

7  A男は、平成四年四月二九日に死亡した。

8  ところで、妊娠週数が二四週以上二八週未満の分娩は、現在では早産と扱われているが、上告人出生当時は流産と扱われていた。ちなみに、昭和五三年及び同五四年の各人口動態統計によれば、妊娠週数二四週以上二八週未満の分娩による出生数の総出生数に対する構成割合は、いずれの年においても0.1パーセント程度にすぎない。

9  仮に、B女が、A男が帰還した昭和二一年五月二八日に同人と性的関係を持ち、上告人を懐胎したとすると、B女は妊娠週数にして最長でも二六週目に上告人を分娩したことになる。

二 右一の事実によれば、A男は、応召した昭和一八年一〇月一三日から名古屋港に帰還した昭和二一年五月二八日の前日までの間、B女と性的関係を持つ機会がなかったことが明らかである。そして、右一の事実のほか、昭和二一年当時における我が国の医療水準を考慮すると、当時、妊娠週数二六週目に出生した子が生存する可能性は極めて低かったものと判断される。そうすると、B女が上告人を懐胎したのは昭和二一年五月二八日より前であると推認すべきところ、当時、A男は出征していまだ帰還していなかったのであるから、B女がA男の子を懐胎することが不可能であったことは、明らかというべきである。したがって、上告人は実質的には民法七七二条の推定を受けない嫡出子であり、A男の養子である被上告人が亡A男と上告人との間の父子関係の存否を争うことが権利の濫用に当たると認められるような特段の事情の存しない本件においては、被上告人は、親子関係不存在確認の訴えをもって、亡A男と上告人との間の父子関係の存否を争うことができるものと解するのが相当である。

三  以上によれば、被上告人の本件親子関係不存在確認の訴えが適法なものであるとした原審の判断は、結論において是認することができる。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。

よって、裁判官福田博の意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官福田博の意見は、次のとおりである。

私は、被上告人の本件訴えを適法なものとする法廷意見と結論を同じくするが、その理由についてはいささか見解を異にする。

一 民法七七二条は、婚姻成立の日から二〇〇日後又は婚姻の解消若しくは取消しの日から三〇〇日以内に生まれた子は、「婚姻中に懐胎したもの」と推定するとともに(二項)、妻が婚姻中に懐胎した子は「夫の子」と推定している(一項)。民法は、この嫡出の推定を受ける子については、嫡出否認の訴え(同法七七四条以下)によってのみ嫡出性を覆し得るものと定め、これ以外の方法で反対事実を証明し嫡出性を争うことを認めていない。そして、嫡出否認の訴えは、夫から、原則として子の出生を知った時より一年以内に限り、提起することができるものとされている(同法七七四条、七七七条、七七八条)。

しかし、今日、形式的には民法七七二条の推定要件に該当するけれども、懐胎期間中に妻が夫の子を懐胎できないことが外観上明白な場合には、同条の嫡出推定が及ばないものと解することにほぼ異論はない。それは、いわゆる「推定を受けない嫡出子」ないし「嫡出推定の及ばない子」についてまでその嫡出性を否定するためには嫡出否認の訴えによらねばならないというのでは、余りに酷であるとの考えに基づくものであって、そのような子については、もはや嫡出否認の訴えによって嫡出性を争う必要はなく、一般の親子関係不存在確認の訴えによって、反対事実、すなわち、父子関係の不存在の事実を証明し、父子関係の存否を争うことができるというのが判例・実務の取扱いである。

二 ところで、この親子関係不存在確認の訴えについては、一般に、提訴権者や出訴期間に制限はなく、訴えの利益が存する限り、だれからでもいつでも提起することができるものと解されている。これが、訴訟法理論からの帰結であるといわれる。しかしながら、私は、いわゆる「推定を受けない嫡出子」ないし「嫡出推定の及ばない子」について、一般の親子関係不存在確認の訴えの提訴権者についての考え方をそのまま及ぼすことには反対である。

三 すなわち、もともと嫡出否認の訴えについて提訴権者、出訴期間に関して厳格な要件が定められているのは、可及的速やかに身分関係を確定させ、子の福祉を図るとともに、併せて、第三者の家庭への介入を否定し、家庭の平和ないし家庭の秘密を保護することを目的としているのであって、このような要請は、判例・実務の取扱いによって嫡出推定の及ばないこととされる親子関係についても本来当てはまるべきものである。特に、父が自分の嫡出子でないことを知りつつも自分の嫡出子として親子関係を維持していたような場合には、このような要請を排除する必要はないのである。ところが、ひとたび民法七七二条の嫡出推定の枠が外れるとされた場合には、訴えの利益が存する限り第三者も常に父子関係の存否を争う適格を有するということになると、父がそのような争いの方途を選択することなく平穏な家庭を維持していたにもかかわらず、第三者によって、父子関係の不存在が明らかにされ、その結果、家庭内に秘められていた真相が暴露され、あるいは、子の福祉が害されるという事態が生じてしまう。これは、本来、民法七七二条以下の規定が目指したものとは相いれないというべきである。

本件において、A男は、いったん上告人をA男・B女夫婦の嫡出子として戸籍上の届出をし、それから一年を経ずして実の父であると思われるC男の下に養子に出してはいるものの、上告人が出生してから一年以内に旧民法八二二条以下所定の嫡出否認の訴えを提起していないことはもとより、平成四年に死亡するまで、上告人との間の父子関係の存否を積極的に争った形跡はない。A男は、このような方法をとることによって、上告人の出生の秘密、換言すれば、妻であるB女の不貞の事実を、世間の目から覆い隠そうとしたのではないかと推測される。本件訴えは、A男の死亡後に、その養子である被上告人から、上告人が相続権を有しないことを確定するために提起されたものであるが、その結果、家庭内に秘められていた真相が公にされる結果となったものである。

四 民法の嫡出否認に関する規定は厳格にすぎるから、一定の要件の下に嫡出推定の及ばない場合を認めることによって、これを緩和せざるを得ないのであろう。しかし、嫡出推定が排除される場合であるからといって、当然に、だれからでもいつでも父子関係の存否を争うことができるとするのは、身分関係の早期安定を図り、かつ、第三者の家庭への介入を防ごうとした前記民法の趣旨に反することとなる。したがって、さきに述べたように、嫡出推定が排除される場合についても、一般の親子関係不存在確認の訴えを提起し得る場合と同様に扱うのは相当ではなく、嫡出否認制度を設けた民法の趣旨が反映されるべきである。

私は、嫡出推定が排除される場合であっても、父子関係の存否を争い得るのは、原則として、当該家庭を構成している戸籍上の父、子、母、それに新たな家庭を形成する可能性のある真実の父と主張する者に限定されるべきであると考える。もっとも、これらの者についても、具体的な事情のいかんによって、親子関係不存在確認の訴えを提起することが権利の濫用に当たる場合があるのは、別個の問題である(殊に、子の出生から長期間が経過し、この間、安定した身分秩序が事実上継続されている場合には、戸籍上の父からであるか子からであるかを問わず、父子関係不存在確認の訴えの提起が制限されることがあり得よう。)。

それ以外の第三者については、現行法の解釈として、当然に親子関係不存在確認の訴えの原告適格を否定することはできないとしても、その訴えの許容性については、より厳格に吟味されるべきであろう。これら第三者については、たとえ身分上、財産上の利害関係が存する場合であっても、むしろ特段の事情のない限り、親子関係不存在確認の訴えの提訴権者となり得ないものと解するのが、前記の民法の趣旨にかなうものであると考える。

五 私の意見は以上のとおりであるが、これを本件について見るに、前記のとおり、上告人は、生後間もなく、実の父であると思われるC男の下に養子に出され、養家の子として育てられてきたものである。そして、記録によれば、A男・B女夫婦は、上告人を養子に出した後、上告人との接触を完全に絶ち、今日に至るまで交渉が断絶した状態で推移してきたことが認められる。A男が上告人を自己の嫡出子として扱った形跡は全くうかがわれず、かえって、以上の事実からすれば、A男としては、上告人が自己の嫡出子であることを否定する意思を有していたと推認される。他方、被上告人は、幼くしてA男・B女夫婦の養子となり、同夫婦の子として育てられてきたのであって、A男が、被上告人を唯一の跡継ぎと考え、その財産を被上告人に承継させようとしていたことも推測するに難くない。このような上告人出生後四十数年間にわたる関係者の生活関係の実態、その認識等に照らすと、本件は、A男の相続人としての地位を有する被上告人において、亡A男と上告人との間の父子関係の存否を争う訴えを提起することが許容される限界的事例ではないかと考えられ、私見を前提としても右特段の事情が存するものとして、上告棄却に賛成する次第である。

(裁判長裁判官福田博 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一)

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